歴史

成田山の歴史

平安時代

西暦/年号 時代背景 当山の歴史
810
弘仁元年
794
平安遷都
810
薬子の変
弘法大師、嵯峨天皇の勅願により御本尊不動明王を敬刻開眼
939
天慶二年
939~941
承平・天慶の乱
寛朝大僧正、朱雀天皇より平将門の乱平定の平和祈願の密勅
天国の宝剣を賜り高雄山護摩堂の不動明王を捧持して下総に下る
940
天慶三年
成田山開山
寛朝大僧正、平将門の乱(天慶の乱)平定の平和祈願のため成田公津ヶ原にて護摩供を奉修
乱平定後、朱雀天皇より神護新勝寺の寺号を賜り勅願所となる
1063
康平六年
1051~1062
前九年の役
源頼義、本堂を再建
1114
天養元年
1156
保元の乱
1159
平治の乱
1180
源頼朝、
平氏追討挙兵
1185
壇ノ浦の合戦
平氏滅亡
この頃、文覚上人、那智の滝にて御本尊不動明王の奇瑞を受ける
1180
治承四年
源頼朝、平家追討を当山に祈願
1188
文治四年
千葉常胤、本堂を再建

室町時代

西暦/年号 時代背景 当山の歴史
1336
延元元年
南北朝対立 奧之院の板碑成る
1544
天文十三年
1543
鉄砲伝来
増上寺の道誉上人、当山にて参籠断食修行して奇瑞を受ける
1566
永禄九年
1568
織田信長が足利義昭を奉じて入京
寺台城主 海保甲斐守三吉、諸堂を再建

江戸時代

西暦/年号 時代背景 当山の歴史
1636
寛永十三年
照禅上人仁王尊造立、梵鐘鋳造
1649
慶安二年
1649
慶安の御触書
増上寺の祐天上人、当山にて参籠修行し明智を授かる
1655
明暦元年
1657
明暦の大火
本堂を再建する(現薬師堂)
1674
延宝二年
1685
初代團十郎、荒事を創始
1687
生類憐みの令
1689
松尾芭蕉、奥の細道へ
水戸黄門徳川光圀参詣
1688
元禄元年
初代市川團十郎、御本尊の霊徳により一子久蔵(二代目團十郎)を授かる
1690
元禄三年
徳川将軍家より秘仏不動明王、二童子を賜る
1700
元禄十三年
照範上人、成田山中興第一世貫首となる
1701
元禄十四年
1702
赤穂浪士討ち入り
本堂(現光明堂)を再建
鐘楼、弁天堂、山門などの諸堂を建立
1703
元禄十六年
江戸深川永代寺にて最初の出開帳
この間、江戸城三之丸で桂昌院、御本尊に参詣する
成田山旅宿創設 深川不動堂(東京別院)の端緒
1704
宝永元年
佐倉藩主稲葉正通、出世稲荷の尊像を寄進
1705
宝永二年
佐倉藩主稲葉正通、黒印地囲護台50石を寄進し、寺領となる
1707
宝永四年
1707
宝永の大地震 富士山噴火相次いで起こる
京都嵯峨大覚寺直末となり、金剛王院院室兼帯の令旨を受け
成田山金剛王院新勝寺と称す
常法談林の寺格を得る
1712
正徳二年
1716
8代将軍吉宗
亭保の改革
1721
目安箱を設置
1722
小石川養生所設立
三重塔を建立
1722
亭保七年
一切経蔵を建立
1732
亭保十七年
清瀧権現堂を建立
1821
文政四年
1821
伊能忠敬大日本沿海興地全図
七代目市川團十郎、金一千両をもって額堂(三升の額堂)を寄進
1829
文政十二年
二宮尊徳、断食参籠修行
客殿再建
1831
天保二年
1832 七代目團十郎歌舞伎十八番判定 仁王門を再建
1842
天保十三年
1841 天保の革命 天保の改革により七代目團十郎、成田山延命院に寓居
1853
喜永六年
1853
黒船来航
川越別院を開創
1858
安政五年
1860
桜田門外の変
本堂(現釈迦堂)を再建する
1861
文久元年
第二額堂(現額堂)を建立する
1867
慶応三年
1867
大政奉還
原口照輪上人、中興第十三世貫首となる

明治・大正

西暦/年号 時代背景 当山の歴史
1870
明治三年
1871
廃藩置県
横浜別院を開創する
1877
明治十年
1877
西南戦争
成田山花園(現成田山公園の前身)を開園
1879
明治十二年
大覚寺直末を離れ、智積院の直末になる
1881
明治十四年
明治天皇の行幸を仰ぎ、行在所となる
1882
明治十五年
1882
日本銀行営業開始
明治天皇の再度の行幸を仰ぐ
1883
明治十六年
三池照鳳上人、中興第十四世貫首となる
1885
明治十八年
1885
内閣制度発足
初代総理
伊藤博文
札幌別院を開創する
1888
明治二十一年
1888
会津磐梯山噴火
1890
教育勅語発布
1894
日清戦争
千葉感化院(成田学園)を経営
1894
明治二十七年
石川照勤上人、中興第十五世貫首となる
1896
明治二十九年
1897
アメリカ・ハワイ併合条約調印
函館別院を開創する
1898
明治三十一年
成田中学(後の成田高等学校)を開設
新義真言宗智山派の別格本山となる
1901
明治三十四年
1902
八甲田山雪中行軍
1904
日露戦争
成田図書館(後の成田山仏教図書館)を開設
1905
明治三十八年
成田幼稚園を開設
1908
明治四十一年
1923年
関東大震災
成田女学校(後に成田高等女学校)を開設
1924
大正十三年
荒木照定上人、中興第十八世貫首となる

昭和

西暦/年号 時代背景 当山の歴史
1928
昭和三年
1928
昭和天皇即位大礼
1932
満州国建国
成田山公園を竣工
成田山新更会を設立
1934
昭和九年
大阪別院を開創
1936
昭和十一年
1936
2・26事件
奥殿、内仏殿を建立
1938
昭和十三年
1939
ノモンハン事件
成田山開基1000年祭記念大開帳を奉修する
開山堂を再建する
1946
昭和二十一年
1941~1945
太平洋戦争
真言宗智山派の大本山となる
1947
昭和二十二年
1947
日本国憲法施行
成田山霊光館を設立
1950
昭和二十五年
1950
金閣寺炎上焼失
成田山勧学寮(後の勧学院)を開設
1953
昭和二十八年
1953
NHKテレビ放送開始
1964
東京オリンピック
名古屋別院を開創
1965
昭和四十年
松田照應上人、中興第十九世貫首となる
三升の額堂焼失
福井別院を開創
1967
昭和四十二年
成田高等学校付属中学校を開設
1968
昭和四十三年
1969
アメリカNASA
月へ到着
大本堂落慶記念大開帳を奉修
1973
昭和四十八年
1973
オイルショック
はぼたん幼稚園を開設
成田高等学校付属小学校を開設
1975
昭和五十年
1975
沖縄海洋博
1978
新東京国際空港開港
光輪閣落慶記念大開帳を奉修
1980
昭和五十五年
光明堂、釈迦堂、三重塔、仁王門、額堂が国の重要文化財に指定される
1984
昭和五十九年
弘法大師1150年御遠忌
平和大塔落慶建立記念大開帳を奉修
1985
昭和六十年
1985
日航機墜落
十二代目市川團十郎襲名奉告の御練り参拝
1986
昭和六十一年
鶴見照碩上人、中興第二十世貫首となる
1988
昭和六十三年
1988
瀬戸大橋開通
成田山開基1050年祭記念大開帳を奉修
交通安全祈祷殿を建立
成田山仏教図書館・成田山仏教研究所が竣工

平成

西暦/年号 時代背景 当山の歴史
1992
平成四年
1991
湾岸戦争
興教大師850年御遠忌記念大祭を奉修
聖徳太子堂を建立
成田山書道美術館を竣工
成田高校講堂、全天候グラウンド、男子・女子寮を竣工
1994
平成六年
1995
阪神大震災
平和大塔建立10周年記念大祭を奉修
成田山世界平和宣言を制定
1996
平成八年
先師墓地に慰霊堂を建立
1998
平成十年
1998
長野冬季オリンピック
成田山開基1060年並びに開山寛朝大僧正1000年御遠忌記念大開帳を奉修
真言祖師行状図絵・平成大曼荼羅が完成
成田山公園大修復が竣工
御本尊上陸聖地整備(浪切り不動尊像建立)
2002
平成十四年
2002
サッカーW杯日韓共催
橋本照稔師、中興第二十一世貫首となる
2004
平成十六年
2004
新東京国際空港民営化
成田国際空港に改名
十一代目市川海老蔵襲名奉告の御練り参拝
平和大塔建立20周年記念大祭を奉修
2007
平成十九年
総門落慶、総門を建立する
2008
平成二十年
成田山開基1070年祭記念大開帳を奉修
2017
平成二十九年
醫王殿を建立
2018
平成三十年
成田山開基1080年祭記念大開帳を奉修

開山縁起

成田山の始まり

寛朝大僧正弘法大師空海みずから開眼した不動明王と共に関東の地へ

平安時代、平将門の乱が起こり不安と混乱に満ちた世の中
939(天慶2)年関東の武将・平将門が新皇と名乗り朝廷と敵対、平将門の乱が勃発します。
乱世の中で人びとは、不安と混乱の中で生活していました。

朱雀天皇の勅命を受けた寛朝大僧正不動明王の御尊像と共に関東の地へ
寛朝大僧正は、弘法大師空海みずからが敬刻開眼した不動明王を捧持して京の都を出発。
大坂から船に乗り、房総半島の尾垂ヶ浜に上陸します。

関東を守る霊場として成田山が開山「新たに勝つ」新勝寺の寺号を賜る

成田の地にて御護摩祈祷を厳修結願の日に将門の乱が終息
寛朝大僧正は、成田の地に御尊像を奉安し、御護摩を焚いて乱の21日間戦乱が鎮まるようにと祈願します。
祈願最後の日、平将門が敗北して関東の地に再び平和が訪れます。

不動明王のお告げにより、成田の地に留まり人びとを救うため、成田山新勝寺が開山
寛朝大僧正が都へ帰ろうとしたところ、御尊像が磐石のごとく動かず、この地に留まるよう告げます。
ここに成田山新勝寺が開山されたのです。

民衆の絶大な信仰を集める

源頼朝、水戸光圀、二宮尊徳、そして市川團十郎といった多くの著名人が成田山を信仰
歌舞伎役者の市川團十郎丈が成田不動に帰依し成田屋の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打ったこともあいまって、成田不動は庶民の信仰を集めました。

今の時代に続く「成田山のお不動さま」への信仰
現代においても、十二代目市川團十郎丈や市川海老蔵丈が成田山の不動明王に深く帰依し、昔と変わらず成田屋の屋号を名乗って、伝統芸能である歌舞伎の技を守り続けています。

寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)

寛朝大僧正は、宇多天皇の孫にあたります。
916(延喜16)年に敦実親王の第二子として生まれ、11歳の時に出家されました。
仁和寺・東大寺・西寺の別当、東寺の長者を歴任され、986(寛和2)年に行基菩薩・慈恵大師良源上人に次いで日本で3人目の、真言宗では初の大僧正になられました。
また、寛朝大僧正は声明の第一人者でもありました。声明とは仏典に節をつけて唱え、儀式に用いられる伝統音楽です。

御教え

お不動さまの御教え

田山ではお不動さまの御教えを「私たちの誓い」として、不動尊信仰者の実践行としています。
お不動さまの大慈悲心(いつくしみのみこころ)に感謝し、日常生活へ活かしていくことで歩むべき道を知る事ができます。


ご本尊さまの奴僕の行にしたがい、すべての人びとに奉仕いたします。
奴僕とは召使を意味する言葉で、献身的に他者に奉仕する者を指します。
お不動さまは、あらゆる人びとを苦しみから悟りの世界へ救い導くために、青黒色の肌をした奴僕の御姿となって、私たちを御加護くださっています。

ご本尊さまの羂索のおさとしによりつくし合いの生活をおくります。
お不動さまは、左手にお持ちになっている羂索という縄で、人びとが悪い方向へ向かいそうな時に、
縛り上げてでも正しい道へ導いてくださいます。お互いに助け合う気持ちを大切にしましょう。

ご本尊さまの磐石の決意をもってあらゆる苦難に耐えしのびます。
磐石とは、重い大きな石のこと。お不動さまは、磐石の上にどっしりとお座りになって、全ての人を救い導くという決意を示しています。
煩悩に迷うことなく、何事にも屈しない忍耐力を育みなさいという御教えです。

ご本尊さまの燃えさかる火炎のようにひたすら精進努力いたします。
お不動さまは、一瞬たりとも弱まることのない燃えさかる火焔の中に住しています。
この御姿を通して、日頃の努力を怠らず、積み重ねていくことで道が開かれることを示しています。

ご本尊さまのゆるぎなきみ心を体し精神の統一につとめます。
お不動さまの磐石に座す御姿は、悟りを求める心が堅固不動の境地にあることを示しています。
自分の力を存分に発揮するために、どのような事が起きても冷静に受け止め、何事にも動ぜず対処できる不動心を身につけましょう。

ご本尊さまの利剣の智慧をもって正しく判断し、真実の自己にめざめます。
お不動さまの右手の利剣は、物事の善悪を見極める正しい判断を象徴しています。
怒り、貪り、愚かさという私たちの心の迷いを断ち切り、真実の自己にめざめるという、深い洞察力を体得しましょう。

ご本尊さまの加持力をいただき平等の利益にあずかることを祈念いたします。
加持力とは、仏さまが慈悲の心で私たちをお守りくださる力と、それを受けとめようとする私たちの信心を表しています。
仏の大慈悲はいかなる時も、私たちに注がれています。仏の慈悲の力と私たちの信心とが相応じあう時、はじめて加持力が発揮されるのです。

境内案内

各御堂のご案内

大本堂(だいほんどう)

1968(昭和43)年建立。大本堂は当山で最も重要な御護摩祈祷を行う中心道場です。堂内の御本尊不動明王は、向かって右に矜羯羅童子、左に制咤迦童子を従えています。また、四大明王や平成大曼荼羅などが奉安されています。堂内には、どなたでもお上がりいただけます。車椅子用エレベーターがありますので、ご利用ください。

平和の大塔(へいわのだいとう)


1984(昭和59)年に建立された平和の大塔は、真言密教の教えを象徴する塔です。総高は58mで、1階は大塔入口、成田山の歴史展、写経道場各種受付があります。2階の明王殿には、大塔の御本尊不動明王、四大明王、昭和大曼荼羅、真言祖師行状図が奉安され、3・4階の経・法蔵殿には、ご信徒による掛仏、5階の金剛殿には五智如来が奉安されています。

三重塔(さんじゅうのとう)


1712(正徳2)年に建立された重要文化財です。総高は25mで、塔内には大日如来を中心に五智如来が奉安され、周囲には「十六羅漢」の彫刻がめぐらされています。雲水紋の彫刻がほどこされた各層の垂木は一枚板で作られた珍しいもので、一枚垂木と呼ばれています。


釈迦堂(しゃかどう)


1858(安政5)年に建立された重要文化財です。かつての本堂であり、大本堂の建立にあたって1964(昭和39)年に現在の場所に移されました。仏教を開いた釈迦如来や、普賢、文殊、弥勒、千手観音の四菩薩が奉安されています。周囲には、五百羅漢や二十四孝の彫刻がほどこされ、江戸時代後期の特色をよく残している総欅づくりの御堂です。厄除お祓いの祈祷所です。


光明堂(こうみょうどう)


1701(元禄14)年に建立された重要文化財です。釈迦堂の前の本堂であり、江戸時代中期の貴重な建物です。大日如来、愛染明王、不動明王が奉安されています。後方には奥之院の洞窟があり、毎年、祇園会に開扉されます。

額堂(がくどう)


1861(文久元)年に建立された重要文化財で、1986(昭和61)年に修復されました。ご信徒から奉納された額や絵馬などをかける建物で、江戸時代に奉納された貴重な絵馬や、様々なモチーフの彫刻は、目を見張るものがあります。また、七代目市川團十郎丈が寄進された石像があります。


一切経堂(いっさいきょうどう)


1722(享保7)年に建立され、1831(天保2)年、1962(昭和37)年、1966(昭和41)年、1986(昭和61)年、1998(平成10)年、2009(平成21)年と多くの修復を繰り返してきました。堂内の輪蔵には、一切経(約2,000冊)が納められています。入口の額は、かの松平定信公の筆によるものです。


出世稲荷(しゅっせいなり)


大本堂を正面に左手に進み、階段を上ると出世稲荷がひっそりと佇んでいます。御本尊は、江戸時代に成田山を篤く信仰した佐倉藩主・稲葉正通が寄進されました。商売繁昌、開運成就、火伏せのご利益があると伝えられており、古くから出世稲荷と呼ばれて親しまれています。


聖徳太子堂(しょうとくたいしどう)


1992(平成4)年に建立、2007(平成19)年に修復されました。日本の仏教興隆の祖である聖徳太子の理念にもとづき、世界平和を願って建てられました。堂内には、大山忠作画伯の壁画が6面に渡り描かれてあり、聖徳太子像が奉安されています。


醫王殿(いおうでん)


2017(平成29)年に開基1080年祭記念事業として建立。木造総檜、一重宝形造の御堂には薬師瑠璃光如来、日光菩薩、月光菩薩、十二神将が奉安されています。 

健康長寿と病気平癒の祈祷所です。

仁王門(におうもん)


1831(天保2)年再建の国指定重要文化財。門の左右に密迹金剛、那羅延金剛の二尊が奉安され、昔から成田山の門を守ってきました。また、裏仏として、広目天、多聞天の二天が奉安されています。中央の「魚がし」の文字が大きく目立つ大提灯は、魚河岸講の奉納によるものです。


総門(そうもん)


開基1070年の記念事業により、2008(平成19)年建立。荘厳な雰囲気の総門は、高さ15mの総欅造り。蟇股という欄間にあたる部分には十二支の木彫刻が施されています。また、楼上には八体の生まれ歳守り本尊が奉安されています。成田山の表玄関として、多くのご参詣者をお迎えしております。

参拝料金

無料

参拝時間

4月~9月 5:30~16:00
10月~3月 6:00~16:00
年中無休

交通アクセス

成田空港から成田山への行き方

成田空港から電車(JR線)で成田駅に向かい、そこから徒歩で成田山への行き方を説明します。

第1ターミナル⇒JR成田駅

乗車券売り場横にあるエスカレータを下って、JR線を目指します。

二つ目のエスカレータでさらに降ります

エスカレーターを下り少し直進すると、頭上にある案内板に従いJR線に向かいます。

成田線 快速 久里浜行もしくは、成田線 各駅停車 千葉行に乗車します。
JR成田駅までの所要時間:約20分
運賃片道:大人240円

JR成田駅⇒成田山

JR成田駅からの行き方を詳しく紹介していきます。

JRの改札出たら右に進みます。

バスのロータリーを左に進みます。

左側に交番があります。

横断歩道渡ります。

しばらく進んで、JR成田駅信号を左に進みます。

参道をしばらく道なりに進みます。


分岐を矢印の方向へ進みます。
緩やかな下り坂をしばらく進むと、左側に成田山総門の入口があります。


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